いい子ぶりっこはやめだ。批判することを怖れずにいこう。

新型コロナウィルスの影響で、息子の通う学校も少なくとも春休みまでは休みになることになりました。在宅の仕事であっても共働きであり小学生の息子のいるわが家にとっても、これはとても大きなこと。

このような突然の発表に「仕方ないよね」と言えるほど、すんなり言ってることを理解できるような方針ではないことは、少し考えれば分かります。というか、誰もが思っていることと言っても過言ではないでしょう。ただ、それを声に出せば出すほど、ただ文句を言ってる人という風に思われている雰囲気すらをも感じ始めています。

一致団結がいい子ぶりっこ

私政府からの発表があったとき、絶句しましたよ。そりゃないよーですよ。

それは、

・学校だけを休みにすることにどういった効果があるのかわからなかったこと

・その発表が無計画で感情的で突然のことだったこと

・そうなった場合に補填されることが明確になかったこと

がそういった思いに至った理由です。

コロナウィルスのことに関しては、私なりにどの報道を信じるべきか模索してみたり、科学的にどうなのか、WHOがどういっているのか、専門家はどのような見方をしているのか、こちらができることとして現実的なことはどれなのか考えてはきました。

・過剰に恐れずに、不安の思いだけで行動しないこと

・適切な危機感を持って、できる対策をとってみる

・必要な情報には耳を傾ける

という具合でやってきました。ハッキリ言ってよくはわかりませんよ。でも、なんとなく信じるとか精神論とかに寄せて考えるのはいい方向にいかないので、そういうものは信じない方ではあります。

で、なんだか一連の流れから、「もう決まったことなんだから文句言わずにやれることやろう」的なタイトルのブログを見かけたり、ネットでそういう発言をしている人がいることに正直疑問がわいてきていたのです。

ものわかりのいい”いい子”になってしまい、一致団結すること、みんなで乗り越えようなんていう考えには納得がいかないのです。

こんなときこそ、「これはあまりにもよくない」「こんな理由で困ります」という批判的な意見が出てくることはすごく大事な意見であり、問題解決への糸口になると思うのです。

そんなことを教育ジャーナリストのおおたとしまささんも話しています。

批判は社会の研磨剤 おおたとしまさブログ

また、おおたとしまささんのフェイスブックでも紹介されていましたが、

「新型コロナには一致団結で!」と叫ぶ組織が、残念な結果を招く理由(窪田順生)

のところで、詳しく書かれていることもとても参考になります。

批判は怖れない

確かに私自身にも、批判されたらどうしようという思いが普段全くないとは言い切れません。

それは私が生まれ育った過程において、知らず知らずのうちに培ってしまった部分でもあります。弱っている立場の時、または本当に心が折れそうに弱っているときには、そのような気持ちが湧いてきてしまうこともあります。

でも、この方向は間違っているなと思っているときに、なんとなーく流れに沿って許容してしまうということはしないようにしています。批判することは、相手を否定するということではないし、批判すること自体は少しも悪いことではないのです。

私は今34歳になって、今まで何度も組織から抜け出してきたからこそ、組織にいるその時の人々の心情や行動を、ああ、あのときのこと…などと思い出されるし、理解できないわけでもない。そこに陥ってしまう落とし穴があることもわかっているつもりです。

批判に対して、普段どんなに強気な人でも自己肯定感が低い人は自分が否定されたと思い、激怒することがあることもわかっています。

ですが、批判を怖れていては良い方向には誰も進むことはできない。だから批判することもされることも許される社会であってほしいと思います。

まとめ

せっかくブログをしているので、今思っていることを書いてみました。ものわかりのいい子、いい子ぶりっこは卒業して、自分の思いのたけを正直に発信していくことは大切です。

今すぐにできなくても、そういう考えに触れることにも意味があると思います。今日私が載せた記事を読むことで、モヤモヤが晴れる人がいるかもしれない。

そんな風に思って今日はこんな記事にしてみました。”保守的なお母さん”ではないことがバレてしまったかもしれないけど、勇気をもって発信していきます。

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